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削られ痛々しさが残るサヨンの碑
(記念公園から武塔村を抜けた所の、川の堤防の傍に立っています。駅から徒歩約15分)
GPS位置(石碑)
24°26'33.29"
N
121°46'33.16"
E
サヨンの鐘
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作詞:西条八十
作曲:古賀政男
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| (一) |
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嵐吹きまく 峰ふもと |
| 流れ危うき
丸木橋 |
| 渡るは誰ぞ
麗(うるわ)し 乙女 |
| 紅き
くちびる ああ サヨン |
| (二) |
| 晴れの戦いに
出てたまう |
| 雄々しき師の君
懐かしや |
| 坦う荷物に
歌さえほがら |
| 雨は降る降る
ああサヨン |
| (三) |
| 散るや嵐に
花ひとえ |
| 消えて哀しき
水けむり |
| 蕃社の森に
小鳥は鳴けど |
| 何故に帰らぬ
ああサヨン |
| (四) |
| 清き乙女の
真心を |
| 誰か涙に
偲ばざる |
| 南の島のたそがれ
深く |
| 鐘は鳴る鳴る
ああサヨン |
聞こえてくる歌は地元の人が歌ってくださいました。
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サヨンの鐘の物語
当時日本統治下であった台湾東北部宜蘭県の山奥にあるタイヤル族のリヨヘン社(村)で、学校の教師を勤めていた日本人警官のもとに出征の命令が届き、山を下りることになりました。
普段から村人の面倒を見、慕われていた巡査を見送ろうと村の青年達は、荷物運びを買って出ました。 その中の一人に当時17歳の少女サヨン・ハヨンがいました。
おりしもその日は悪天候で、リヨヘン社から麓迄行く途中の川に掛かった丸木橋を渡るとき、荷物を背負ったサヨンは足を滑らせ、水かさが増していた川の激流に飲み込まれ、帰らぬ人となってしまいました。(他の説もあります)
この悲劇を知った時の台湾総督、長谷川清は、出征する恩師を見送るために少女が命を犠牲にしたということで、愛国美談とし、サヨンの村には長谷川総督より記念の鐘が送られ、「愛国乙女サヨン遭難碑」も遭難場所付近に建てられました。
1938年のことです。
第二次世界大戦後に台湾を接収した国民党政権によって、サヨンの碑は碑銘を削り取られ、 川の岸辺にうち捨てられたうえ、鐘も撤去されてしまいました。
現在、サヨンの碑は地元住民によって引き上げられ、新しい記念碑と 並んで南澳南渓の傍らに建っています。 サヨンが暮らした武塔村と、交通が不便だった金洋村を結ぶ念願の橋が完成したとき、この橋
は「サヨン橋」と名づけられ、さらに断崖の臨海道路、「蘇花公路」に面した武塔村サービスエリアには、神社の 鳥居を模したモニュメントと鐘が吊るされたサヨン記念公園が作られています。
タイヤル族の民芸手工芸品はサービスエリアで購入できます。
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サヨン記念公園入り口
GPS位置(公園)
24°26'33.29"
N
121°46'33.16"
E

下から鐘を見上げる
交通:
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